2025年09月23日

完璧に生きた時におとずれる安寧

2周目の波琉太をやっています。(2024年1月亡くなりました。享年11歳8月)

2013年9月23日(月)、波琉太の月誕生日で1歳5か月(17か月)になりました。
朝、父さんのそばにいる波琉太です。
父さんのそばで波琉太

息子がいない時は次に父さんのとこに行きます。
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17か月というのは、人なら高校生くらいでしょうか。
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前にニキビダニができたと書きましたが、耳の炎症も起きやすく、
この時期は色々成長過程で炎症が起きやすいのかもしれません。
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翌9月24日(火)は夜散歩の後の足拭き写真です。
父さんの足の間から見える波琉太がかわいくて。
DSC_7064.JPG

寝てる?目をつぶっているだけですね?
DSC_7068.JPG


雑誌「小説新潮」に43歳頂点論という連載があります。
作家で冒険家の角幡唯介さんのエッセイですが、
例えば北極を単独で狩りをしながら犬ぞりで2か月の旅をするというような冒険家です。
2025年1月号のエッセイから。
死に限りなく近いところから生還することを求めるのが冒険家で、
真剣に生きることを欲しているからこそだそうです。
しかし、手に負えない自然のそばで常に死の匂いがある環境で生きている人間は、
そういった気持ちがないようです。
現代人は安全な生活の中、死の近くにいって生を活性化せざるをえないということらしいです。
やっと危険なことをする人の心理がわかったように思います。
そこに山があるから、を詳しく読み解くとこうなるのかと思いました。

そのエッセイの中には生と死についても書いてあって、
死とは全エネルギーを使い切り力尽きた状態のことだというのです。
やり切った、完璧に生きた時におとずれる安寧と。
逆に言うと、生きているということはまだ不完全燃焼、
それを作者は余白と呼んでいます。

私は、波琉太が死んだのは生きたから、
最後まで立派に生きたからだという思いを今は持っているのですが、
角幡さんも同じような死生観を述べていることを知って、
納得したのでした。
がんばって生きたから死んだ、波琉太だけでなくみんなそうと思います。

死ぬことは生の完全燃焼と冒険家言う生きねば死ねない

いくつまで生きるのだろうと母の言い死ぬまで生きると正しく答え




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posted by ちゅんこ at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 2周目の波琉太1歳 | 更新情報をチェックする
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