私には、施設に入っている95歳の母がいます。
車いす生活ですが、歩くこと以外は自分の事は自分でできる状態です。
要介護3になったこともありましたが、今は要介護1で元気にしています。
一昨年、最後に母に会いに行った時の波琉太です。
2階から見てる母の目にはこんなふうに見えていました。この波琉太が、母の最後に見た波琉太になりました。
2022年10月21日、波琉太は10歳です。
あれから1年4か月、ずっと母には会わないままでした。
私の年代だと介護をされている方が多いと思います。
私の母は実家の近くの施設に入っていて、
食事や規則正しい生活が功を奏しているのか、
会えない間に私が行かないといけない状況にもならず、
波琉太のことを伝えても、構わないから見てあげてと言われていました。
ありがたいことでした。
波琉太を迎える時点で母は84歳の独り暮らしでした。
母は故郷から離れる気はなく、
月に一度くらい、波琉太のお出かけのつもりで様子を見に行っていましたが、
独り暮らしが難しくなって2020年10月に施設に入りました。
波琉太が亡くなり、しなくてはいけないことの一番大きなことが、
母や実家のことでした。
波琉太がいない、私は頑張るのが辛い。
・誰の死も待つなんてことしたくないされど現実うまくは行かず
・母とハルどちら先逝く願わくば年齢順にされど恨まず
・会いに行きハルの容態悪化なら死ぬまで母を憎みて生きむ
・母待たずハルを迎えて良かったよ辛きことにも勇気の生まれ
・歩けない辛さを母に教えられハルを支えんひたすらがむしゃら
どうか波琉太を憶えていてください。
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2024年02月19日
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お悔やみ申し上げます
昔、はるたくんが雑誌BUHIに載ったことありましたよね?
ちゅんこさんが、はるたくんが雑誌のどこに載ってるでしょうか?と書き込んだ時に表紙に載ってませんか?と書き込んだ者です…と言っても昔のことで覚えてませんよね😅
うちの虎毛のBUHIも去年の7月21日に亡くなりました
11歳と10ヶ月でした
一昨年の春頃から足元がふらついたりと歩くのが困難になり、ボケ〜ッとして寝てばかりで反応もあまりなくなってました
初めは歳をとったせいかなと思ったりしましたが、そのうち痙攣発作を起こすようになりました
それでMRIの検査をしたんですが、結果は水頭症とのことでした
水頭症の手術もして、しっかりと歩けるようになり、まだまだ元気に過ごせると思いましたが、手術から2ヶ月後くらいにまた痙攣発作をしたり、いろいろ病気も重なり歩けなくなってしまいました
寝たきりになって9ヶ月後くらいに亡くなりました
いつもおしっこしたい時に教えてくれていて、夜中も何回か起こされていたんですが、その日は教えないからおかしいなと思って、朝四時過ぎにふと見たら、息をしていませんでした
最期に1人で逝かせてしまいました
どんなに辛くても見送ってあげたかったです
どんなに悲しんでも悔やんでも元には戻らないのはわかってるんですが、どうにも自分の気持ちが消化できなくて…
どんな形でもかわいい子を見送るのは辛いですよね
ましてや、痙攣発作の連続を見るのはとても辛かったですよね
痙攣発作は、ほんとうに見てられないくらいショックというか大変なものですよね
はるたくんも頑張ったと思いますが、ちゅんこさんもご家族の方もほんとうに頑張ったと思います
うちの子が亡くなってから変わったことは、電気代が安くなったことです
うちの子がいる時は、いつも電気をつけて明るくして、エアコンもつけてて夏は涼しく、冬は暖かくして留守番をしてもらってたので、仕事から家に帰るといつも快適な温度だったんですが、うちの子がいない今は暗い寒い家に帰るんです…ほんとにうちの子がいないという現実がますます寒さを倍増させます
寂しいの極みを味わってます
だからといって、また犬を飼いたいとも思えず…街ですれ違う犬も触れなくなりました
他所様の犬を撫でると涙が出てしまうのです
まだまだ気持ちが回復できてないですが、なんとか生活してます
表紙の写真の事、2015年のブログでしたね、なつかしいです。
虎柄ブヒちゃんも波琉太と同じ年頃で亡くなったのですね、そういう年頃なのですね、辛いですね。
寝たきりというのは大変な介護をされたことと思います。
けいれん発作って、知らないとどれだけ怖いか伝わらないから、
経験された方とは分かり合えると思うので、少し心が軽くなります。
電気代のこともわかるし、他のワンコを触れないのもわかるし、
時間が経つにつれ、じわじわと寂しさやら辛さが増している気がします。
どう考えても生き返らないし、どう考えてももっと長生きしてとは願えない状況だったし、
その後を考えて、残してきた物や思いは充分なはずですが、
私も気持ちは回復しません。
そうやってこれから生きてくのだと思います。
声をかけてくださって、本当にありがとうございます。
こうやって波琉太を思って書いて書いて、
それで生きていけるかなと思います。