去年11月19日、ひどいけいれん発作を起こしてから約2か月、
お薬が効いたのか穏やかな日を過ごして、
ステロイドを減らすことにした矢先、
不安ではありました。
年明けて1月17日、朝5時半を過ぎた頃、けいれん発作を起こしました。
点鼻薬を注入しましたが、
15分後にはまた発作を起こし、今度は座薬を入れました。
しかし自分で体を支えることができず、
よだれや泡がたくさん出て、また喉がゼロゼロと鳴っている状態でした。
注射が必要と救急病院に電話したけれど、
時間内に行くことができないと断られ、他の病院を検索しているうち、
なんとか立てるようになり、
薬を飲ませないといけないので、
朝ごはんを食べさせました。
前日晩ごはんから少し食べるのを嫌がってはいましたが、
少し量を減らして薬も飲み、眠りにつくことができました。
前々日からお腹がぷっくり膨れて、💩の出もよくなくて、
食欲不振も消化不良なのかと思いました。
かかりつけ病院に診察の予約を入れて待つ間、
8時半を過ぎた頃、寝起きにまた発作を起こしました。
診察ではまず鎮静の注射をして、呼吸がしんどそうということでレントゲンを撮ると、
前に肺炎と言われた時よりももっと奥の方が白くなっていて、
前よりひどいという状況でしたが、
静脈の点滴をすると発作を誘発することが多いというので、
抗生剤を変え、家で酸素室を作ることにしました。
お腹が膨れているのも、胃腸の働きが悪いのだろうと、
その薬は体に点滴で入れました。
私は病院から酸素発生器の手配の電話をしていましたが、
診察室に戻ると、初めて目覚めている状態で波琉太が発作を起こし、
2本目の注射を打ちました。
しっかり体を支えることができなくなっていましたが、
なんとかそれで持ったので家に帰りました。
帰り道おやつを食べたので、持ち直したと思ったのですが。
酸素室を作るのは大変そうだし、息子に連絡すると来てくれることになりました。
この危機的な状態に息子がいてくれたら、
少しは波琉太も私も不安が紛れるかもと思ったのでした。
その時ははっきり意識してなかったけれど、
来てくれなかったら、弱った波琉太を前に正常ではいられなかったと思います。
家ではお薬を飲ませないといけないので、
昼ご飯を食べさせました。
またあんまり食欲はなかったけれど、用意した分は全部食べ、
寝にくそうでしたがウトウトして過ごしました。
息子が来てもはっきり認識できていたかどうかわからない状態でした。
酸素発生器の業者さんが来て説明を受けている時、
息子は波琉太と一緒にいて、撫でたり抱き締めたりしていたそうです。
息子が撮った最後の写真です。私と父さんがいないので、不安げに探していたそうです。
酸素室ができ、出入り口をどうしようと考えていましたが、
とりあえずゆっくり眠れたらと、酸素マスクみたいにして寝かしていました。
それから息子を電車の駅まで父さんが送りに行っている時、
夕方4時頃、波琉太はけいれん発作を起こし、すぐ私は注射を打ちました。
発作は完全には収まらず、耳がぴくぴく動いたり頭がときおりカクっと動いたり、
病院に電話をしたものの、もう一度注射を打つしか病院でも処置のしようがないと言われ、
とにかく飲み薬をと思ってご飯を食べさせようと思いました。
私は波琉太が死んでしまうなんて、
最後まで全く思っていませんでした。
晩ごはんは全く口にしようとせず、
そうしているうち最後の発作が起こりました。
4時50分ごろでしょうか、朝からだと6回目、初めて発作を起こしてから27回目でした。
体を寝かせたまま、舌を押さえつけて呼吸ができるようにしていた時、
発作が始まって1分も経っていたでしょうか、
ふと波琉太の動きが止まりました。
すぐ脈をみたのですが、こちらも触れることはありませんでした。
父さんが胸を押したり、息を吹き込んだりしましたが、
1回、ふと息をガッと吸って、それが最期でした。
波琉太は死んでしまったと思いました。
疑うことなく、もう逝ってしまったと、自分で逝ったのだと思いました。
自分の家で、いつもいるところで、私の好きな音楽の録画が流れている中で、
私と父さんがいて、それまでずっと私は笑顔で、
私の手に触れられている中で。
慌てて病院に電話しました。
呼吸をしていませんと。
蘇生してほしい、とは思わなかったと思います。
でも連れてきてくださいと言われ、主治医さんが会ってくださいました。
その時波琉太はこんな穏やかな顔をしていました。
主治医さんからは、去年初めて発作を起こした時点で、
MRIで腫瘍もみつかり、いつどうなるかはわかりませんと言われていました。
余命というのは言えない状態だったと思います。
この後すぐかもしれないし、もっと後かもしれない、
でも年は越せないかもしれない、越せないだろうと思われていたそうです。
ありがとうございます、年越せました。
予想を上回って、波琉太は生きました。
1月17日、関西の人間には特別な日、阪神淡路大震災の起こった日です。
この冬、波琉太地方では初めての雪が、朝、風に舞っていました。
2024年、奇しくも「令和6年能登半島地震」の起きた年、
ちなみに先代犬アレクサンダーが亡くなったのは「東日本大震災」の年。
波琉太とアレクサンダーに縁があったということなのかもしれません。
今、外は雨が降っています。
波琉太が亡くなった翌日も雨、雨で良かった、
お散歩に行かなくちゃって思わなくていいから。
波琉太は明日22日、お空に見送ります。
とても長くそばにいてくれましたが、永遠にいてもらうわけにもいかず、
その誇った体躯もなくなってしまいます。
ブログやInstagramのメッセージには、
天国には○○ちゃんいるよ、そんな言葉がありました。
新参者ですが、どうぞよろしくお願いします。
おとなしい、とてもいい子です。
・ハル発作起こした後はわが顔を不思議そうな目でじっと見つめて
・精一杯ハルとわれとは戦いて勝ち負けなしの満足もあり
・死に顔は安らかに見えハルは言うどうや僕の生き様見たか
・おとなしきハルなら寝姿そのままにエンバーミングさえもよぎりて
・元からに応えぬハルよ呼びかけて姿のあればそれでいいのに
・雨が好きキャラに戻りて薄暗き部屋にて雨音だけを聞いてる
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