梅雨が明けての、猛暑って厳しいです。
朝早くの波琉太のお散歩。
玄関前、ひとつも歩いていないのにもうペタンです。
胸には保冷剤入りのエプロンして、体を冷やしています。
引きで撮ると、波琉太がちっちゃくなっちゃいました。なんだこのサイズ感。
父さんも写っていますが、手乗りサイズになっていました。
遠近感とか、一眼レフカメラとかの特性によるものなのでしょうが、
あまりに波琉太が小さくて笑ってしまいました。
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オリンピックに思うこと
明日からオリンピック東京大会が始まります。
日本で開催することに私はずっと反対でした。
1964年のオリンピックはうちがカラーテレビになったことしか記憶していませんが、
そのころの日本は高度成長期で国際的な位置も低く、
これから国が発展成長するに当たって大きな役割を果たしたのではないかと思います。
今になって、そのオリンピックにも様々な問題含みだったことを知りましたが、
効果の方が大きかったのではと思います。
しかし、今回成熟した国で、何を旗印にやろうとしているのかわかりません。
政治家の人気取り、国際的な卑屈なおべんちゃら、
果てはインバウンドで大きな益を上げている最中だったので、
とらぬ狸の的な、経済的利益を当て込んでという目的にしか私には見えませんでした。
スポーツなんて二の次、三の次の気がして、
開催地が決定して浮かれている様子を、非常に冷めた目で見ながら過ごして8年。
ずっと懐疑的にしか見ることができず、
申し訳ないですが、
オリンピック目指しているアスリートにも気持ちを寄り添わせることができませんでした。
オリンピック開催理念は適当な曲解解釈で、
ことあるごとにスローガンはコロコロ変わり、
人の信用を得るのに一番やってはいけないこと、
少々の齟齬があったとしても、一本筋を通すということがなく過ぎてしまいました。
その理由にされた出来事や人をバカにするのもほどがあります。
不祥事の多さも、それ見たことかという気持ちでした。
これだけ情報が誰にでも行き渡っている世の中で、
年寄りが旧態依然としたやり方をしているからこうなるように思えます。
さらに延期という稀な出来事で、じっくり眺めることができて、
私も反対だった理由がしっかりと形になって理解できたような気がします。
コロナのパンデミックで、いよいよ開催中止になるかと期待しましたが、
それもかなわず。
政治家たちの目が我々国民に向いていないことがバレバレなんです。
第一に大切にされるべきなのに、大切にされていないと強く感じます。
それが感じられないなら気持ちが離れるのは当然です。
為政者の能力、人間力をこれほどまでに考えたことはありません。
でも、オリンピックは政治家さんたちが動かすものではなく、
もはや誰が中心なのかわかりません。
一番暑い時期、コロナで感染症が全く治まらない中、
オリンピック後の日本がどうか元気を失ってしまわないよう、祈るばかりです。

