2017年01月17日

無念の死に報いる

1月17日、阪神淡路大震災が起こった日です。
今日で22年、もう22年です。
私は同じ県内ですが、震源地より少し外れたところに住んでいます。
6年前に東北に大地震があり、去年は熊本も襲われました。
その間にも、日本各地には地震が起こり、災害があり、事故や事件があり。
人や物を失って、生きながら時間が止まってしまっている人を思う度、
私は苦しくなります。

今回も関西地方ではひと月ほど前からメディアで震災の話題が出るようになり、
変化した街並みや防災の意識など報道していました。
昨日の新聞に、地震の際の火事でほとんどが焼失した神戸市の商店街の話が出ていて、
その早急な公的な復興は失敗だったと書いてありました。
今まで教訓とか反省とかの言葉は憶えていますが、失敗の言葉にショックを受けました。
22年が経ち、はっきりと言えるようになったのだと感じました。
認めたくなくても失敗は失敗です。

阪神淡路大震災はボランティア元年と呼ばれていますが、
東北で熊本で、ボランティアは新たな問題を生みながらも良い態勢への模索を続けています。
そうやって何かしら生かされていてほしい、それが被害を受けた者の一番の願いと思います。

震災経験者としての私が今思い出すのは、非常に強い揺れだけです。
避難生活も経験せず、息子の怪我もガスが止まっていたことも、
食べ物がお店になかったことも大したことなかったように思われます。
誰も命を落とすことがなかったからです。

「二度とこのようなことが起こらないように」
無念の死で残された家族から発せられる言葉です。
また、その責任や罪を追及して何年も何年も戦う人がいます。
かけがえのないものを失って、生きることさえ辛い人の叫びが聞こえてきそうです。
天災はどんなに備えていても避けられないところがありますが、
なぜという理不尽さ、助かる手立てはなかったかという後悔はつきまといます。
だから「二度と繰り返さないでほしい。でないと浮かばれない」と思うのでしょう。

「震災」の今指す被災地どこなるや時は流れて上書きされて

もう君は生き返らぬよ責任者確定されても金積まれても

ただ願う同じ間違いせぬことを無念の死の報われるよう

運命に選ばれしなら受け入れん死出での旅にわれつかざるを得ず

事起こりハル手放して生きるならわれも共に滅びんと思う

毎年発生時刻に起きてはいますが、寒くてとても外に出る気になりません。
当日も本当にこんな寒かったのでしょうか。
暖房器具が全て使えず、情報もなくぽかんとしていた自分を思い出しました。

もう、あの時間が22年前とは。
随分昔のことになってしまいました。
何が起ころうとも、今私の隣にいる、物言わぬか弱い波琉太を守らなければ。
それが私の拠りどころです。
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長くなりました。読んでいただきありがとうございます。
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posted by ちゅんこ at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | 更新情報をチェックする
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