お正月、息子一家が遊びに来ました。
孫が2人いるのですが、妹が波琉太のことをよく話します。
妹はコロナの最中に生まれたので波琉太と会うことも少なく、
ようやく慣れた頃に波琉太は死んでしまったので、
馴染んでいたとは言えないのに、あれこれ私にたずねてきます。
対して兄は波琉太が怖くてずっと逃げて泣いていたから、というのではないでしょうが、
あの日以来、ハルくんと口にしたことが一度もありません。
絶対憶えているはずなのに、怖かったとしても悪感情はないと思うのですが。
彼なりの思いがあるのでしょう。
ばあばは黙っておきましょう。
2周目の波琉太(2024年1月亡くなりました享年11歳8月)をやっています。
2013年1月3日(木)波琉太は生まれて初めてばあちゃん(私の母)ちに行きました。
よその家では緊張してハアハアなってたけど、
ばあちゃんちだけは落ち着いていられました。
ただ家の中でのトイレはできず、玄関先に抱っこで下ろしたり、
外の道へ連れていったりしていました。
行き帰りは1時間ほど高速道路を通るのですが、
波琉太がいるので毎回1度はPAかSAに寄って、それを楽しみにしてたのを思い出します。
写真のPAでは食べたラーメンがおいしくて、よくここで休憩しました。
写真を拡大して発見、左耳の先が剥げています。
膿皮症のかさぶたが取れたとこです。
まだこの頃は皮膚の病気に慣れてなくて心配したものです。
ばあちゃんちに着いて、
庭です、田舎の家なのでここでおしっこすることもできて助かります。
息子も一緒に2泊するのですが、勤務明けの父さんは寝てます。
右奥にサークルが映っていますが、水飲みとかトイレとか設置していました。
家から全部持っていったので、毎回たくさんの荷物でした。
晩ごはんのごちそうです。
手前の緑色のはネギで、危なって思われるかもしれませんが、
たぶん見てなくても波琉太は口にはしなかったと思います。
人の食べ物には全くガツガツしない良い子でした。
この頃はカニ鍋なんか食べてました、贅沢。
ばあちゃんちでくつろぐ波琉太です。
息子のおへそも舐めるわな。
さてゆっくりしたい時間です。
私と寝る部屋に閉じ込められた波琉太を息子が撮りました。
覗いています、大きな目。
・フリースを洗えばハルの毛と匂い抜けて誰にも気づかれぬわれ
・やっと来たわが人生の冬休み戦い終え凪ぐ足りなさ抱え
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