波琉太の頭に置いているのは、孫くんに作ったスタイの切れ端です。
今回作った6枚です。下、真ん中のスタイの切り取った部分です。このキャラは”すみっコぐらし”のトカゲらしいです。
顔は波琉太が被っているので、孫くんは顔出し状態になりますが、
写真はリラックマのスタイです。
スタイを作るのはこれで3回目、1回目は生まれてすぐでしたが、
前回、去年の末に作った物です↓↓↓洗濯でほつれてきたのでリクエストされました。表面はキャラクターのタオルを使い、裏はタオルやガーゼ布で作り、マジックテープ止めです。
スタイの大きさは一緒なので、孫くん大きくなっています。
さて、平成時代は今日で終わり、巷では平成最後と令和元年で盛り上がっています。
私は昭和を30年生き平成も30年生き、令和を30年生きる?
とか思っています。
私が幼い頃は昭和の前の前、
明治時代生まれの祖母がとても古い人間のように思えていましたから、
孫くんもそんな風に私を思うのでしょう。
昭和の終わりは天皇の病気もあって自粛自粛で、
今の平成の終わりのようなにぎやかさはありませんでした。
私はそれ以来、経過年数が数えにくいという理由で西暦を使うようになったので、
例えば波琉太の誕生日も、大震災の起こった日も平成では答えられません。
だからあまり思い入れはありませんが、元号はきれいだなと思います。
私にとって平成時代は、パソコンの普及に代表されるように、
技術の進歩、情報伝播の速さが驚異的に進み、
今では世の中の変化にそろそろ追いつけなくなっています。
昭和時代の幼い頃は、とてもゆっくり時間が流れていて(と感じていて)
永遠に変わらないと思っていたことがたくさんありました。
大鵬の横綱時代、ベトナム戦争、佐藤首相の在任、東西のドイツ分断、
やけに政治的なことが多いですが、永遠に続くものだと思っていました。
さらに、銀行や、国の規模や名前も変わらないと思っていました。
ところがそれらは変わることがあり、終わることがあり、世の中とは諸行無常でした。
どもメディアも平成をまとめていますが、
なんだかリセットして、いろいろ忘れようとしているように思えるのは、
ひねくれ者過ぎるでしょうか。
時間は区切れないし、何事もそうそうリセットすることはできないから、
この日々の連続を静かに見守りたいと思います。
・吾の知らぬ何十年を生きる彦その世幸せならんと欲す
・這えば立て立てば歩けと思わざり彦に願わんゆっくり生きよ
・まとめては名づけてパックしけるかや新し何か始めるために
・石置けばわが人生のオセロ盤白くなったり黒くなったり
・もう1つオセロありけりRくんの人生母の責任なりて
この布きれを乗せている波琉太の姿、
江戸時代に手ぬぐいを乗せている町の人、
瓦版売り?に見えるのですが、
新しい元号を伝えてるのかな。
いろいろ乗せられて大変なこった。
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