波琉太のお兄ちゃん、アレクサンダーが亡くなって今日で3年です。
まるで春まっただ中のような、ちょうど今年と同じような暖かさの晴れた日でした。
今の波琉太と同じ1歳9か月のころのアレクサンダー
写真が少なく、きれいに写っているものがもう残っていないので、動画を載せます。
亡くなる3か月前。
アレクサンダーは全速力で走ることができませんでした。走ってもせいぜいこのくらい。
巨大食道症様の症状があり、駆け足程度でも走ると食べたものを吐いてしまい、そこで止まらざるをえませんでした。
亡くなる1か月前。
Rくんが芸を教えているところです。やっと覚えたのに、これっきりになりました。
アレクサンダー8か月の頃。
お出かけをした後でもなんでもありません。
7か月を過ぎた頃から、日中ずっとうつらうつらして
座っていても立っていても、水を飲みながらや、散歩の途中でも寝てしまうことがしょっちゅうでした。
でも眠れないんです。
私が、なぜとらわれ続けているのか少しずつはっきりしてきたように思います。
意識をなくすとき、抱いていてやれなかったこと、
何かおかしいと思いながら、原因が思いつかず何の手当てもしてやれずに逝かせてしまったこと。
私だけを頼りに生きていたのに。
思っても詮無いことなのですが、思わずにいられません。
悔やむのは君を奪った真実を
わからぬままにわれ生くること
なに一つ尽くせなかったこの手を
われ許すまじ届かぬ君に
わが終の場所と決めたは
君のいた日の射す窓際一人静かに
君にあった大きな耳黒い耳を
われの頭に生やしたかった
ありがとう君の遺骨を抱きしめる
くれた笑顔と希望忘れまい
「かわいいな」と口癖みたいに言ってた言葉が
その瞬間から「かわいかった」と過去形になる、それが“死”なのだと思ったとき
『
過去形でしか語れないことばでも
呼びかけている今目の前に』
2011.4.30作という歌ができ、私のブログはここから始まりました。
波琉太を見ていると、元気に走りおもちゃで遊び、しっかり眠る、こんな普通のことが
どんなにありがたく、いとおしいことかよくわかります。
もうアレクサンダーの動く姿は、ほとんど思い出せなくなりました。
でもアレクサンダーの体が空に立ち昇り、その空気を吸って生きている私の中に
ずっとずっと生きていると思うと、少し安心するのです。
それにしても、波琉太はRくんがいたら気もそぞろだし
父さんの膝に乗りたいがため追いかけ回し
私がかまおうとすると、するっと逃げるんです。私嫌われてるのかなぁ

波琉太、アレ君の写真と同じ場所で